今日は、平成最後の日、ですね。

貞寿です。
あちらこちらで、平成を振り返る特集がくまれていて、いやがおうにも平成を振り返ることが多くなる昨今。
昭和にうまれた私にとって「平成で一番の出来事はなにか」と聞かれたら。
間違いなく、
「講談師になったこと」
と答えると思います。
よく、
先輩からも、
後輩からも、
なんならお客様からも、
「貞寿さんはホントに講談が好きだよね」
と言われます。
どうも、寝てもさめても講談のことしか考えていないような。
講談マニア。
講談オタク。
講談がなかったら、死ぬ!
…くらいの講談好き、というイメージがあるようです。
でも、私からしてみると
「そうでもないですよ???」
と思ってしまう。
そりゃ講談師になってるくらいだから、好きなのは当たり前ですけれども。
でも、知らないことも当然山のようにあるし。
数多ある読み物だって、さほど詳しくないし。
歴史などはお客様の方が詳しいと思うくらい。
好きだけど、たいして何もしらない。
じゃあ、なにが突出しているかといえば、多分
「“講談”が好き」
という熱量が違うのだろうと思ったりします。
つまり、
「講談にアツい」
いや、
「講談に対して、暑苦しい!」
そこが突出しているのだろうと(笑)
多分、いまの子達は、
「自分が講談を読むのが、好き」
という子が多いのだろうと思うのです。
勿論、まず、それがなきゃ
「講談師になりたい!」
とも思わないだろうし、とても大事なこと。
私も、講談を読むのは大好きです(笑)
でも、多分、それ以上に。
私は、「“講談”が好き」なのだと思います。
他の先生方の講談を聞くのも大好き。
講談にまつわる話を聞くのも大好き。
だから、
もしかすると若手の中では、昔の講談師についての知識がある方、なのかもしれません。
そして、
もしかすると若手の中では、昔の講談師についての思い入れが強い方、なのかもしれません。
前置きが長くなりました。
だから、これから書くことは、
「そんな感じの一講談師の意見です」
というところを踏まえて頂きたいのですが。
先日、発表ありましたとおり。
松之丞くんが、神田伯山を継ぐことになったそうです。
楽屋でその話をチラッと耳にしたときに。
先輩からこんな言葉を聞きました。
「若いやつで、昔の講談師の話できるのは貞寿さんくらいなんだよ、今の若いやつはみんな伯山なんか知らないだろう」
続けて、
「今の前座あたりは、貞吉先生や服部先生はもちろん、芦洲も、貞丈も、伯龍も、みんな知らないんだから」
と。
もし。
その先輩がおっしゃる言葉が本当ならば。
聞いたことがないのは仕方ないとして、
名前すらも知らないとしたら。
みんなに知ってもらうためにも。
興味をもってもらうためにも。
襲名っていいことかもしれない。
そう、思ったりします。
村上元三先生の「次郎長三国志」
この最終章にも、伯山がどのようにして次郎長伝を作り上げたかが書かれています。
この話は「次郎長と伯山」という演題で、村上先生より許可を頂いた貞丈、貞心、私だけが講談として読ませていただいてます。
また、講談「東玉と伯圓」の中にも、初代伯龍の弟子で、神田派の束ねとなった伯山が登場します。
「“講談“が好き」な私にとって、
伯山は憧れてやまない、伝説の名前です。
当然、講談界にとっても、
伯山は、大きな、大きな名前です。
それを受け継ぐ。
これは、並大抵ではありません。
当然のように、様々な反発もご意見もあろうかと思います。
でも、松くんはさ、
そんな人々の思いとは裏腹に、飄々と重圧をかわしてしまう気もします。
芸人的な視点で言えば、
私、松くんより先輩だからね。
あの、伝説の名人の名前を
「ちょっと、伯山!」
って、呼びつけにできるんだよー!
これ、すごくない?(笑)
まじめに言いますと。
「講談好き」の一人としては、
名前に合うだけの、大きな講談師になってくれますように。
途中で挫折することのないように。
名人の名跡をちゃんと継承してくれますように。
ただ、それを願うのみ。
そして、講談師一龍斎貞寿としては、
「松くん」の為というよりは、
「神田伯山」の為に、
出来ることがあったらしてあげたい。
そう思っています。
複数の方から、伯山についての問い合わせがありましたので、このブログをもってお答えとさせて頂きますね(笑)
そんなわけで。
令和になりましても、
講談をどうぞよろしくお願いします♪

©2024 一龍齋貞寿

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