貞寿です。

本日、渋谷金王町講談会。
沢山のお運び、ありがとうございました!

私は、昨日、今日と連続で「玉菊灯籠」でした。
2日間とも通ってくださったお客様。
今日のみお出でになったお客様。
それから、
今日はこれないのだけど、
「あの二人がどうなったか教えて!」
と、言付けて下さったお客様(笑)
誠にありがとうございました!!
今日で、
「貞寿の玉菊」
は、ひとまず形になりました。
そもそも技術的に未熟なところ、
もう少し整理しなきゃいけないところ、
細かく詰めたいところ等、修正個所は山のようにあります。
でも、方向性として、
「貞寿の玉菊」
は、恐らく今日の形なのだろうと思います。
結果として、
「貞心の玉菊」
とは、随分変わりました。
でも、それでよいのだろうと思います。
同じ映画でも、監督が違えは作品が異なっていくように。
骨子が伝われば、手法は変えてよいのだと思います。
実は、つい最近まで、講談の中にでてくる女性を演じることが苦手でした。
兎に角、はずかしくて。
どうにも、台詞が借り物のようで。
苦手で苦手で、仕方なかったんですね。
でも、近年。
その原因が明らかになってから、大丈夫になりました。
なぜ、女性が苦手だったか。
それは、講談にでてくる女性と、自分自身が思う女性との差があまりにも大きかったからです。
「なぜ、こんなこと言うんだろう」
「なぜ、こんなことするんだろう」
台本に書いてあるから、そのままやろうとするんですが、どうにも違和感しか残らず。
らしくやることは出来ても、それっぽくやってるだけに過ぎず。
大好きな講談に違和感を抱える形となり、どうも苦手、となっていました。
でもね。
近年、台本に大分手を入れるようになりまして。
意識しなくても変わっちゃうというか、なんというか。
自分的に居心地悪いところは、自然に淘汰されるようになり。
そうすると、自ずと、違和感を感じていた部分が、グッと変わってくるようになりました。
古典講談には、夢二の美人画のような女性が沢山でてきます。
マリーアントワネットのような女性や、悪鬼羅刹のような女性もでてきます。
でも、私の講談では、そういう人は原則でてきません。
優しくて、芯の強い女性。
ほぼ、全員、そんな人です。
運命にただただ翻弄されるのではなく、
不幸な境遇の中でも自らの意志で自分の行く末を選択できる女。
玉菊も、そうです。
恐らく先人たちが描くどの玉菊よりも、
私の玉菊は、強く、優しい女だろうと思います。
多分、そこらへんが、男性が描く女性と違うところかなぁ。
弱くて、儚げで、優しい女なんていやしませんよ。
強くなければ、優しくはなれないのです。
絵はしっかり見えているのに、
それを伝える為の技量がまだまだ追い付かず、
情けない限りですが。
まだまだ先の長い芸人人生。
いつか、きっちり描けるようになるまで、この話は読み続けると思います。
どうか、末永くお付き合いください。
ご来場ありがとうございました!

©2024 一龍齋貞寿

赤井情報網

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