本日、しのばず寄席。

ご来場くださいました皆様ありがとうございました。
今日は、まったく読む気がなかったのですが、急きょ思い立ちまして、「東玉と伯圓」を読ませていただきました。
というのも、昨日、楽屋で、某兄さんがもっていた本、

「酒とバカの日々」を読んでしまったから。
皆様ご存知、神田愛山先生が1989年に出版された、ご自身のアル中の顛末をまとめたという一冊です。
この本のことは大分前から知ってはいましたが、読んだのは、昨日が初めてでした。
この件を語ったラジオ音源を聞いたり、
当時の話を琴星先生始め被害者の方々から伺ったりしていたのですが、
正直、よもやここまでとは思いませんでした。
失礼を承知でいえば、
クズ人間の所行がぎゅっと詰まった一冊でした。
客観的に、こんな人が先輩だったら、心の底から嫌ですし、関わらないようにダッシュで逃げます。
普通、そうです。
当たり前です。
でも。
「困ったなぁ」と言いながら、愛山先生の周りにいる人たちが、なんと優しいこと。
皆、迷惑かけられてるのに。
先生、クズみたいなのに。
どこかみんな暖かくて。
だから、こうやって、先生は帰ってきて下さって。
だから、いま、先生はここにいらっしゃるんだな。
そう思ったら、改めて、自分が籍を置いている講釈の世界がちょっと誇らしく思えました。
正直にいえば、
私もそんなクズ人間の欠片をもっている。
この本に書かれていることは、決して、他人事でなく。
いつ、自分がそうなるか分からない。
才能があって、
未来を嘱望されて、
さらに努力家であったとしても、
順風満帆にいくとは限らない。
芸人て、そんなもんで。
腐ろうと思えば、いつでも簡単に腐ることができる。
みんな、きっと、そうだと思う。
でも。
この2日間、貞水先生の高座を勉強させていただいて、
その芸は勿論、背負っているものの大きさを近くで感じてしまうと、
私のちっぽけな自尊心が傷ついた、などと言ってふてくされる料簡なんか簡単に吹き飛んでしまう。
うちの師匠や、南左衛門先生。
そのほか、なにかと気にかけて下さる先輩方。
つい先日、福岡でご一緒させていただいたばかりの、喬太郎師匠。
仲良くしてくださる噺家、色物の先輩方。
伯圓にとっての東玉のような存在がいてくださるからこそ、私は、アル中になることなく、腐ることなく、いつも明るく楽しい講談師としていられるのだろうと思います。
ひとつしくじったら、寄ってたかって攻め立てて、すぐさま炎上してしまうような今の世の中で、こんなに敗者復活を認めてくれる社会はそうないように思います。
そう思って「東玉と伯圓」を読むと、以前とは、また違う骨子をひとつ、見つけてしまったりして。
始めは、
「講釈にありがちな話だな」
と軽く見ていた、「東玉と伯圓」
いまは、生涯読み続けていくだろう、大事な一席になりました。
ありがとうございます!愛山先生!
ヽ(^o^)丿(←え?そこ?)
絶版だから、なかなか手に入らないかもしれないけど、もし、入手できたら是非読んでみてください。
一般の皆様にとっては、
「ああ、俺のしくじりなんて、愛山先生に比べたらちっぽけなもんだな!」
と、生きる勇気が沸いてくる本かと思います。
そして、愛山先生に対して、少し優しくなれる、はず。(どうかな?)
私も人の本を楽屋で借りて読んだだけなので(笑)
そのうち、ちゃんと購入してよみなおすことにします。
皆様何卒よろしくお願いいたします!
以上、神田愛山イメージ向上委員会より、番外編、でした♪
(果たしてこれで先生のイメージは向上しただろうか?)

©2024 一龍齋貞寿

赤井情報網

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