おはようございます。
只今、会津若松滞在中。
 
会津はちょうど桜が満開です!
 

 
鶴ヶ城は桜の名所とあって、各地で盛んに花見イベントなどが行われています。
 
 
早い時間は人が少ないので、午前中にブラブラと花見。
いやぁ、綺麗でした!
 
 
花見がてら、いつも通らないところを散歩していると、
目に入った看板。
 

 
「ふぅん、山鹿素行生誕の地ねぇ…え?山鹿素行?もしや、山鹿先生?!」
 
そう、赤穂義士伝大好きな人はご存じなことでしょう。
山鹿先生は、大石内蔵助に山鹿流の兵学を教えた人物なのです。
 
ここからは講談のあらすじになるので、実際のところはよくわかりませんが…
 
兵学者、山鹿先生は、研究熱心なあまり、江戸城の攻略方法を本にして出版してしまい、幕府から江戸追放を言い渡された。
(朱子学に異を唱えた説もあり)
赤穂へ配流されることになったが、赤穂への護送の最中、弟子たちに襲われるかもしれない。万一、山鹿先生を取り逃がすことになったら浅野家の一大事。そこで、赤穂への護送という大役は内蔵助に託された、というお話。
途中勿論、弟子たちに囲まれ、万事休すとなるのですが、内蔵助は弟子たちを理をもって説き伏せる。その姿をみた山鹿先生は、内蔵助を大層気に入り、山鹿流の兵学のすべてを内蔵助に授けた…と。
だから、赤穂城明け渡しの際に「籠城されたら大変だ」と武装した大勢の兵を連れてやってきたり、討ち入りの際には山鹿流の陣太鼓を使っていたりするのですね。
 
山鹿先生なくして、討ち入りの成功はなしえなかったかもしれないのです。
 
もっとも、史実のほうでは、吉良上野介とのほうが交流があった、なんて説もあるようですが。
 
どちらにしましても、赤穂義士伝を語るものにとって、重要な人物の一人であることは相違ありません。
 

 
山鹿先生!
「山鹿護送」読ませていただいております!
ありがとうございます!
 
いやぁ、それにしても、こんなところで、山鹿先生の名前を聞くことになるとは。
講談師、のんきに花見にも行けませんね。
会津若松、というと、白虎隊をはじめとした幕末の悲劇が一番最初に思い出されますが、蒲生氏郷の地でもあるので、講談とも所縁ある地でございます。
 
そういや、久しく山鹿護送、やってなかったなぁ。
どこかでやってみようかしらん。
 
よいきっかけを頂きました。
 
山鹿先生、ありがとうございました✨

©2025 一龍齋貞寿

赤井情報網

Log in with your credentials

Forgot your details?