貞寿@東京に帰ってきました。

 

この旅の間、

公演前は毎回のように胃の痛い思いをし、

猫にも会えず、

移動も多く、

普段とは違う環境で日々暮らしておりましたが、

基本的には毎日とても楽しく過ごしておりました。

勉強になることも沢山。

心身ともにちょっとだけタフになって、

一回り大きくなって帰ってきたと思います。

 

でも、この旅で、大切なものを一つ、失いました。

 

それは。

 

張扇。

 

旅の最終日、

体験コーナーで生徒さんたちに張扇を叩いていただき、

「さて、それでは今度は私が一席読ませていただきます」

言いながら、張扇を手にした途端。

 

ぐにゃり。

 

手に、柔らかい感触。

 

張扇が折れていました。

 

 

そもそも、張扇というのは、竹と紙でできています。

だから、完全に消耗品。

早い人は3年くらいで交換している道具です。

でも、私は、メンテナンスしながら長く使っておりまして、いままでに折った張扇はたったの1本。

つまり、1本の張扇を10年くらい愛用し続けてきました。

 


この子は、たしか二ツ目時代に師匠が作ってくださったもの。

何百回も、何千回も私に叩き続けられたのに、びくともしなかった、丈夫な子。

この10年、この子以外の張扇を使っていないので、毎回、私と一緒に高座を戦ってきた、まさに戦友でした。

 

プロの講談師は、面で叩くので、軽い力でもいい音がします。

でも、不慣れな人は、思いっきりたたきつけて音を出そうとします。

 

竹と紙でできている張扇。

いくらプロの講談師が叩いているとはいえ、10年も使えば、竹に負担がかかっていないわけがない。

もう、多分、限界だったんだと思います。

 

私は、この子が限界だとは夢にも思わず。

いつものように、いい音を立てながら活躍してくれる、と。

生徒さんたちにも思いっきり叩いてもらって、講談のリズムを体験してもらおう、と。

ものすごく気楽に、この子を手渡していました。

 

最後の最後に、とてつもない無理をさせてしまいました。

 

本当に、ごめんなさい…!

 

 

でも、

 

この子は、無理しながらも、旅の最終日まで、折れずにこらえてくれました。

 

この子が折れるなんて想定していなかったので、予備の張扇はありません。

旅の途中で折れていたら、旅先で張扇を作るなんてほぼ不可能です。

紙も竹も、専門店に行かなければ手に入りません。

糊も乾くまでに三日はかかります。

 

張扇がなかったら、私はただのおしゃべりなおばさんに過ぎない。

こんなに自信満々に「講談師です」などと言えなかったに違いない。

 

それを知ってか知らずか、この子は、最終日まで、折れずに堪えてくれました。

 

なんていい子…。

 

旅先の最後の高座で、折れた部分を軽く手で持ち、先のところに全神経を集中させながら釈台を叩くと、

「パシッ」

いつものようにいい音を響かせてくれました。

先のほうだけで叩いていても、ちゃんといい音を出してくれる。

なんていい張扇だったんだろう。



帰りは、この子を手ぬぐいに包んで、手荷物にして大事に持って帰りました。

 

いつも当たり前に手の中にあると思っていた道具が、

いや、ともに戦ってきた相棒が、

突然、いなくなってしまう寂しさ。

その存在の大きさは、失ってみて初めて知るものなんだなぁ、と。

 

まるで、失恋したような心持です。

 

 

貴方は、私にとって、最高の相棒でした。

今まで、本当に、ありがとう。

 

長い間、お疲れさまでした…!

©2025 一龍齋貞寿

赤井情報網

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